投稿記事一覧 > 2016年09月30日
【小説】もし日本の総理大臣がPOP広告を描いたら〔第1章〕第1節-1)
〔第1章〕 高大は『繁盛店が必ずやっているPOP 最強のルール』と出会った
第1節―1)
(201X年盛夏、)高大は悩んでいた…
決して結果を残していないわけではなかった。国民が政治に一番望んでいた〝景氣回復〟も1年前に比べると株高、円安に推移し景氣も一見上向いている状況であった。
高大は大政党に属していた。歴史もあり、過去にはそれなりの実績もあり、この政党は3年前に政権の座を再び奪取していた。
高大の祖父は総理大臣、父は財務大臣(その当時は大蔵大臣)に就任しており、有名な政治一家の三代目であった。
このような背景から高大は同じ党の議員からはとても人氣があった。この人氣が高大をある日突然、35歳の若さで総理大臣に推挙されたのだ。
前総理大臣が突然体調を崩したのが2年前のことで、一年間、政権は総理不在のまま副総理をトップに国政を余儀なくされた。この間、〝景氣回復〟どころかジリジリと後退し、党の立て直しを図るべく、高大に白羽の矢が当たったのだ。
そして、第99代内閣総理大臣に就任したのが、1年前のことであった。
当選回数2回、大臣経験もないという異例のことに国民や野党からは大反対にあうなどとても不安視されていた。
就任当時の内閣支持率は35%でもともと高くはなかったが、現在18%にまで落ち込み危機的な状況に追い込まれていた。
なぜこのように支持率が低下しているのか。考えられる要因として二つあげられる。
まず一つ目は国政選挙で認められたトップではなく、理由が不明確で政治不信を抱かせる就任劇であったこと。二つ目は、景氣は上向いているように思われたが、それが実体経済をともなわないことを富裕層以外の国民が感じていたからであった。
高大は総理大臣になりたくなかった。なりたくなかったというよりまだ他にやるべきことがあったのだ。いつかは総理大臣になりたいという思いはもちろんあったのだが、まだ早いと一度は断っていたのだ。
副総理の総理昇格に幹事長が難色を示し、高大を総理にと真っ先に働きかけたのだ。
高大の総理としての1年間はあっという間に経過し、本来実行したいと考えていたことがほとんどできなかった。内閣を滞りなく運営していくための多くの調整に時間が割かれていた。支持率の低下ほど全く何もしていなかったわけではないが、国民が政治に期待していることはできていなかった。
高大はこの1年間で次のように感じていた。
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